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2016年11月 – 特定非営利活動法人AYINA
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23 11月

ルワンダダンス界に革命?!現地人に溶け込む元協力隊員の活動紹介。

副代表の内藤です。 今回は、僕の後輩隊員にあたる、 元青年海外協力隊でルワンダ派遣の大江里佳(おおえさとか)さんにインタビューさせて頂きます!   内藤(以下な)「こんにちは!」   大江(以下お)「こんにちは^^」   協力隊としてのルワンダ渡航は何と3度目だった な「いきなりですが、読んでもらってるみなさんに、簡単に自己紹介していただいてもいいですか?」   お「地元愛知県の高校を卒業した後、 自分のことを誰も知らない新しい環境に入ってみたいと思い、 関東の私立大学に入学しました。 それまで自分が周りにどう思われているとか そうゆう自分にならなきゃとか思ってしまう性格だったので、 そんな殻を破って自分らしくなりたいという思いが強かったのを覚えています。 専攻は教養学部国際学科で漠然とですが、日本以外の国に興味があったので、 外国のことを学べるその学科を志望しました。 1年の夏にフィリピンに短期のボランティアへ行ったことがきっかけで、 世界の途上国に関心を持ち始めました。 3年次にはアフリカゼミに加わり、 そこで教授に誘われた学科の翌年から始まるルワンダに関する プロジェクトの視察で、2週間のルワンダの渡航に参加しました。 それに続く翌年のプロジェクトでも再び2週間ルワンダに滞在。 卒業後、一旦は民間企業に就職し、2年間勤務しましたが、 ルワンダで感じた現地の人たちに魅了された気持ちが忘れられず、 協力隊という道を選び今に至ります。」   な「簡単に言ってたのに、きっちりしてくれてありがとう(笑)。 おかげで、大江さんのプロフィールは皆さんもよくわかってくれたと思います。 あ、つまり、ルワンダへは協力隊で3回目の渡航だったんだね。 で、さらに今回協力隊終わって、 またルワンダに一旦戻ったみたいなんですけど、どうしてですか?4回目ですね!」   大江里佳としてルワンダに戻りたい お「7月に帰国して1カ月くらい経って、 やっぱりルワンダって自分の肌にとっても合ってたんだな〜 って感じたんです。 それでもうルワンダへのチケットを検索せずにはいられなくなっていていました。。。笑 他にも理由はあったりしたんですが、 一番にはこの想いが強く私の背中を押しましたね。 ''途上国に行く”っていう感覚ではなく、 本当に単純に自分のお気に入りの場所に旅行に行く感覚でした。 もう一つは純粋に何にも所属していない自分で、 ただの大江里佳という人としてルワンダを感じてみたいとも思いました。 協力隊で行っていた時は、 国際協力という大前提を常に自分の背中に背負っていたので、 その想いで活動を進め、地域の人とも接してきました。 それを励みに頑張ってこれたことは言うまでもありませんが、 この枠から抜け出してなんの肩書きもない状態でこの国を見たり、 ルワンダ人と接してみれたらな〜、と思う瞬間が度々あったんです。 そんな理由で戻ることになった今回のルワンダでの滞在は、 私にとってすごく貴重で新鮮な時間になりました。」   ルワンダにはダンスで食べていける人は殆どいない な「うわー!”自分のお気に入りの場所に行く感覚”とか、 肩書きもない状態で接したいっていうのは非常にわかるわーーー! で、実は今回さとかちゃんのFacebookで流れてきたカッコイイダンス動画を見て、 なんでこんな活動をする事になったのか、 非常に気になってインタビューさせてもらったんですが、教えてもらえますか?」   お「このダンス動画は私が提案して始まった活動ではなく、 あるダンスチームの作品の撮影に参加させてもらって一緒に踊ったものなんです。 日本のダンスシーンも似たような事が言えるのかもしれませんが、 ルワンダでもまだまだダンスレッスンを持つスタジオやジムは限られており、 それだけで食べていけるようなダンサーは中々いません。 ダンスシーンも近隣のアフリカの国(ウガンダ等)に比べてまだ小さく、 そんな状況を変えていく為に、 彼らダンサー(特に首都Kigaliに多い)は 自分たちのチームや個人の活動の一環として、 彼らの存在を多くの人に知ってもらったり、 パフォーマンスを見てもらう為に 自分たちでプロモーションビデオを製作し、 YoutubeやFacebook,Instagramなどを利用して拡散するなど、 それを仕事に繋げられるよういろいろな事を企画しているんです。」   ルワンダダンスに興味を持ち、自分で調べて出会った な「へー。近代的というか拡散の仕方が日本とかと変わらないよね。 でもそもそもどうやってその人たちと出会ったんですか?」   お「私自身も踊ることが大好きなのですが、 ルワンダに来て初めて、 日本では見たことのないようなスタイルのダンスをよく見かけることがあり、 これはなんというダンスのジャンルで、 どうやって踊るんだろうと興味を持ちました。 ネットでいろんな情報や動画を調べていくうちに、 キガリにダンサーがたくさん集まる練習場所の様なコミュニティがある事を知り、 それがきっかけとなって今回一緒に踊ったメンバーとも出会うことができたんです。」 な「いやー興味を持つまでは結構みんなすると思いますが、 実際に調べて出会って、そして踊っちゃうってところがたくましい! ちなみに今回二つ動画をアップしてたと思うんですが、 コンセプトみたいなのがあったら教えてもらえますか?」   ダンスから始まり、ダンスを超えた”仲間”に お「4人のチームで踊っている動画と2人で踊っているものがあると思います。 最初の動画は、ルワンダの首都キガリのニャミランボという地域で 主に活動をしているチーム”Afro k.a.s.a”と一緒に踊らせてもらったものです。 先ほど話した様に、このチームも今までにたくさんのダンス動画を作っており、 今回もそれにならって新しいチーム動画を作るという話でした。 振り付けに関するコンセプトは特に聞いていませんでしたが、 代わりに嬉しかったエピソードがありますので、お話しさせて頂きます。 彼らとは今年の1月、まだ隊員時代の頃に出会いました。 その頃から一緒に踊れたらいいね! という話はしていたのですが、もちろん隊員の活動がありましたし、 私の住んでいた所から首都まではバスで2時間掛かったので、 中々まとまった時間を作ることが出来ずに日本への帰国となってしまいました。 そこで今回の滞在ではフルに自由な時間があったので、 彼らの練習時間である平日の午前中の練習に毎回参加することができ、 ずっとやりたかったアフリカンスタイルの踊りを教えてもらえることになったんです。 顔見知りとはいえ、 それまで深い話をしたり何か一緒に時間を共有したことがほとんどなかったので、 今回の2週間のまとまった時間はとても貴重でした。 最初のうちはお互い遠慮してどんな事を考えているかわからなかったのですが、 毎日一緒にダンスを通して、同じ時間を共有することで自然と距離が縮まっていったのを良く覚えています。 時にはダンスへの熱い想いを語ってくれたり、 実家に招いて家族を紹介してくれたり、 生活をする為にやっている他の仕事場を案内してくれたり。 とっても幸せな時間でした。 練習に関しては チーム動画に使用する振り付けのチーム練習に、 私や他にも彼らにダンスを習いたいルワンダ人を混ぜてくれて、 一緒に踊りながら教えてくれます。 是非そのビデオで一緒に踊れたらという気持ちは山々でしたが、 他にもそう望んでいる人はたくさんいて、 私もその彼らと同じ様に練習を見てもらって 彼らからの言葉を待とうと黙々と練習しました。 後半に差し掛かってきた頃、 チームがそれまで一緒に練習してきたメンバーを呼び掛けて 話し合いが設けられました。そこで彼らは私たちに、 今回のビデオはチーム”Afro k.a.s.a”としてのもので、 誰かとのコラボビデオではないんだ。 だからチームとしての誇りを持たなくちゃいけないし、 一定のレベルも求めていかなければいけない。 これからもここに来ればいつでも教えるし一緒に踊っていくけど、 今回ビデオで一緒に踊れる人は限られてしまうことをわかってほしい。 そう言って一人一人に答えを伝えていきました。 私はこの時点でもうこんな貴重な話し合いの中に 自分がいれていることに感激でした。 そして練習の甲斐もあり選ばれた2人のうちの1人に入ることができたんです。 なによりも嬉しかった事は、 外国人枠みたいな優先された所からではなく、 彼らのチームの一員として認めて加えてもらえたことでした。 そんないろんな想いのこもった作品になっています。」   ルワンダと日本のコラボダンス な「2週間とは思えない濃い期間でしたね。 ダンスという枠を超えて、仲間として認められているのがわかりますね。 彼らの本気度はもちろん素晴らしい事ですが、 その彼らに認められるほど、さとかちゃんも本気だったんだね。 もう一つの動画について教えてもらえますか?」   お「もう一つの動画は、 チームAfro k.a.s.aの1人のダンサーと一緒に作った作品です。 彼と練習をしている時に、 せっかくルワンダと日本のバックグラウンドをもった2人が出会ったんだから、 それを表現した振り付けをつくってみない?と話をしてくれました。 アフリカンスタイルの振り付けをベースにして、 私がずっとやっていたロックダンスの振り付けもミックスし、 所々にルワンダの伝統ダンスや 日本のソーラン節や阿波踊りの振り付けを入れています。 そんな振り付けからこのビデオネームが”Rwanda meets Japan”となっています。 こちらも中々ない組み合わせで私にとってもすごく思い出深いものになりました。」   な「動画見させてもらいましたけど、 僕もソーラン節とか阿波踊りは一応できますが、 こんなにもかっこよさに違いが出るのか!と思ってしまいました。 今後もどうやってルワンダと関わっていきたいとか目標みたいのはありますか?」   違った環境で育った若者が交わえる場を作れたら お「今回は個人的に訪れた際のダンスの話をメインに インタビューを頂いたのですが、 隊員時代に関わっていた分野である、 住民が抱えている地域給水の問題にも関心がありますし、 地方の貧困層の人々の生活レベルが少しでも上がる様な 取り組みを自分なりに考えていけたらいいなと考えています。 また隊員時代にたくさんの異なる環境にいる子どもたち、青少年を見てきました。 その中で感じたことが、 生活に余裕のある家庭に育ち、 高校や大学を卒業してきた若者と貧しい家庭で育ち、 早い段階で学校に行くことを諦めて働いたり、 家の手伝いをしなければいけなかった子たちとが関わり合う場が あまりない と思ったのです。 私の地域では誤った偏見から差別される人たちも見られたので、 彼らの家庭に育ってきた子どもたちも然りです。 そのような若者が集まって、 ダンスやスポーツなどを一緒にできる 地域のコミュニティのようなものがもっとできたらいいなと。 そこで異なる価値観やバックグラウンドなど、 多様性や共生について考える場に繋がっていくことが理想ですね。 まさに私がルワンダにきて学ばせてもらったことです。 まだやっていきたいことが、上手くまとまっていませんが、 これからも長い目で身を据えてルワンダと関わっていくつもりです。」   な「なるほど。確かに格差がある子供達が交わりあう場ってあまりないかもしれない。 それも現地に溶け込んでいたからこそ気付けた事ですね。 そこを繋ぎ、交流していけるのはダンスなどの文化的なもの。 大賛成ですし、めちゃめちゃ応援しています! これからもさとかちゃんらしい活動をしてください! ありがとうございました!」...

22 11月

ベナンで絶対行くべきスポット②ウィダ

副代表内藤です! さてさてベナンで絶対行くべきスポットシリーズの第二弾ですが、 ウィダ をご紹介します!   ウィダはコトヌーから近い まず近いってのはいい事です。 大体ベナンに来る方はコトヌーを拠点にする方が多いのですが、 コトヌーからも1時間くらいと非常に近場にあるので、 気軽にいけます。   ブードゥー教の聖地 古くからブードゥー教の聖地とされています。 こんな銅像がいっぱいありますよ。 ブードゥー教をちょっとだけご説明しますと、 ブードゥーは英語読みで、ベナン人はヴォドゥンと呼びます。 「精霊」の意味で、ベナンの国教にもなっています。 由来はなんと アフリカから中南米に奴隷として連れてこられたアフリカ人が、 土着宗教を発展させて作ったものだそうです。 日本やアメリカではゾンビの元としてまあまあ知られていますが、 日本人からすると非常に異文化な宗教ではあるので、 僕もこれから色々勉強してみようと思います。   奴隷貿易時代を学べる場所 奴隷時代があったという事実は私たち日本人は知ってはいても、 やはり教科書の中での出来事です。 ですが、この場所は本当に奴隷貿易が行われていた場所なので、 その時代を学ぶ博物館や、銅像もあるんです。 こういった一面もベナンに来たなら見ておくべきです。 日本人が「世界は原爆の恐怖から学ぶ必要がある」と言うように、 世界はアフリカの奴隷時代から学ばないといけないと思います。       還らずの門 ここを通過すると2度と帰ってこれなかったと意味で 1995年作られた門です。 この門の先にある海岸から、アメリカ大陸やカリブ諸島に運ばれたそうです。 運ばれ方も荷物のような状態で運ばれたそうです。 こうした悲しい過去が起きないように、必ず語り継いでいかなければなりませんね。   ウィダは綺麗な海 とはいえ現在は、ベナン人のデートスポットにもなっているウィダの海。 流れは半端なく強いので、泳ぐ事は出来ませんが、 ずっと眺めているだけでも癒されます。   お土産屋もありますよ 観光客が多く来る場所でもあるので、 こうしてお土産屋もありました。 外国人にも慣れてるのか、超ブロークンイングリッシュで話しかけてくれます笑   ブードゥー教と奴隷時代と学び、海で癒されましょう しっかりベナンの国教でもあるブードゥー教と、奴隷時代の歴史を学び、 最後は海を眺め癒されてもらえればと思います!  ...

19 11月

ベナンで絶対行くべきスポット①ガンビエ

副代表内藤です! 今回は、ベナンで絶対行くべきスポットシリーズの第一弾として ガンビエをご紹介したいと思います!!   アフリカのヴェネチアと言われているそうな まあヴェネチア(イタリア)といっても自分行った事ないからわかりませんので、 実際に写真で見比べてみましょう! まず本物のヴィネチア! ほお〜美しいですね。 ヨーロピアンな建物に、水路とまさに異文化って感じですね。 ではでは、アフリカのヴェネチアガンビエいでよ! ヴェネチア・・・?? と思った方。「アフリカの」ヴェネチアですよ!   まあなんにせよアフリカ最大の水上都市です 上から見るとこんな感じです。 こうしてみると綺麗ですね(笑) アフリカ最大の水上都市だそうで、本当にずらーーーーーっと水上に民家が並んでます。 教会も、学校も、ホテルだってありますよ。 人口は45000人です。すごい。   元々の理由は奴隷から逃れるため 16世紀あたりからある古い都市ですが、元々水上に住み始めたのは、 当時の王国が奴隷として捕まえようとしてくることから、逃れる事だったそうです。 ガンビエの意味も調べてみると、 「ついに平和を見つけた人々の集落」 という意味だそうです。 そしてそのまま住み続けているわけですね。   とにかく異文化! 僕も昨年アフリカホームステイで初めてベナンに訪れましたが、 一番異文化を感じた場所がこのガンビエでした。 子供達も颯爽とボートを漕いでいる姿はカッコ良さどころか渋さまでありました。 来年もアフリカホームステイ企画中です! ガンビエ訪問は絶対いれますからね! 個人的にはガンビエホームステイしたい・・・...

15 11月

アフリカで1番慈悲深い国は意外にも?!○○だった!

副代表内藤です! 今回は英国の慈善団体「チャリティエイド基金(CAF)」というところが発表した、 世界慈悲深い国ランキングで、アフリカにフォーカスを当ててみたいと思います。 参考:The CAF World Giving Index 2016   指標は3つ アンケートを取った過去1ヶ月に 「見知らぬ人を助けたか」 「金銭を寄付したか」 「ボランティアをしたか」 を聞き、総合ランキングを作っているそうです。   まずは世界のランキング アフリカランキング発表の前に世界ランキングの発表です。 対象国140カ国中の1位はぶっちぎりでミャンマーでした。 特に過去1ヶ月に「金銭を寄付したか」の項目が91%になってるのが驚異的です。 2位アメリカ 3位オーストラリアと続いています。 ちなみに日本は114位とかなり低い。 財布が戻ってきたランキングでは確か1位だったのに、 自発的な行動はしないという日本人らしさが出てますね。 最下位は中国です。僕の周りには優しい中国人も多いですけどね。   ではアフリカランキング1位は・・・ 本題のアフリカランキングの1位を発表です! 1位はケニア!!(世界12位) アフリカの中ではぶっちぎりといってもいいかと思います。 見知らぬ人を助けたのは70%、お金をあげたのは44%、ボランティアをしたのは42%となってました。 2位はウガンダ(世界26位)、3位はマラウイ(世界38位)となっております。 僕と関わりが深いルワンダは116位、ベナンは102位とかなり低かったです。 でも見知らぬ人を助ける率はルワンダ36%、ベナン45%と 日本の25%に比べると大分高いんです。 実際車がガス欠とかでストップしたりしてると、 人がワラワラ集まり押している光景はアフリカあるあるですからね。   個人的な考察は、、、 基本的にこういった数字で曖昧なテーマを扱うデータは 正確なランクを出すのは難しいと思っています。 というのも、宗教的な事やカルチャー的な面、あるいはシステム的な部分が非常に反映されやすいからです。 金銭の寄付というテーマも日本がアフリカより高いのは、お店の色んなところに募金箱がありますよね? アフリカにはありません。 その代わり、日本人より物乞いにお金はあげてると思います。 となると、同じ環境だったらもしかしたらアフリカのほうが高い率が出るのでは? とも思ってしまいます。 というわけで、このデータだけをみて、 「あぁこの国は慈悲がない国なんだなぁ」とは絶対に思わないで頂きたいです。 発表しておいてなんですが。    ...

14 11月

AYINA Beninと二回目のミーティング!

副代表内藤です! AYINA Beninメンバーと2回目のミーティングをしてきました! 前回の報告はこちら 今回は忘れずに写真撮ってきましたよ〜! こんな感じでミーティングしてます。 メンバーはもっといますが、予定が合わなかったり、遠くにいたりで この日は10名弱。 前回がアイデアの絞り出しだったので、現実的に「いつ、どこで、どうやって」を話し合いました。 日本人風にやればもっと早く話し合えると思いましたが、 敢えて口出しはせずにあくまで傍観者としていましたが、 気がつけば4時間もやってました(笑) まだまだ話すことはありましたが、みんなが疲れて終了というアフリカらしいミーティングでしたね。 でも、いくつかのプロジェクトは来週からにでも動き出せそうな雰囲気でした。 副代表の自分の役割としては、 ・彼らを定期的に鼓舞する(指示ではなく鼓舞です) ・AYINA BeninとJapanの連携強化 となってますが、問題が一つ。 ほとんどのメンバーがフランス語しか話せない。 そして私、英語しか話せない。 というわけで、いよいよ(遅いわ)フランス語を本気で学ばないといけなくなってきました。 頑張ります。 とりあえず、今回の渡航では最後のミーティングとなりました。 次回またベナンに来た時にどれだけプロジェクトが動いているか、楽しみです! 帰国してからも連絡取り合いますけどね! AYINA Japanも負けてられない!  ...

12 11月

アフリカの通貨事情について(特に西アフリカ)

副代表内藤です! アフリカってドル?ユーロ?って聞かれたことは、数少なくありません。 今回はアフリカの通貨事情(特に西アフリカ)についてお話したいと思います。   まずは画像で一気に確認! 文字で紹介していくと読む側も書く側も大変ですので(書く側は頑張れって感じですが)、 画像で確認してもらいましょう! 黒字で書かれているのが、国名です。 赤字で書かれているのが、通貨名です。 左上にEuroと書かれているのが見えるかと思いますが、 ここはアフリカの独立国ではなくまだヨーロッパのある国の領地です。 要するにアフリカ大陸の独立国ではドルもユーロも公式通貨ではありません。   共同通貨も存在します 東から南にかけては見事に国ごとに通貨が違うのがわかると思います。 僕が協力隊でいたルワンダもルワンダフランという現地通貨でした。 しかし、共同通貨もあります。 中央アフリカと西アフリカでCFA(セファ)フランという通貨があります。   CFAとは? 対象国は、元々はフランス領であった国々が殆どです。 通貨だけに関わらず、アフリカは植民地時代の名残がまだまだ残っているんですね。 なのでイギリス領だったガーナなどはCFAではないというわけです。   中部アフリカCFAフランは カメルーン、中央アフリカ、チャド、コンゴ共和国、赤道ギニア、ガボンで使用されており、 西部アフリカCFAフランは ベナン、ブルキナファソ、コートジボワール、ギニアビサウ、マリ共和国、ニジェール、セネガル、トーゴで使用されています。 中部のCFAは西部で使えないし、西部のCFAも中部では使えません。   CFAはユーロと固定レートになっており、1ユーロ=655.957CFAフランとなっています。 つまり通貨コントロールが出来ない(ユーロ固定だから)という、 経済的超デメリットを抱えているのですが、 メリットは周辺国でそのままCFAを使う事ができる事が多いという事でしょうか。 あとは周辺国貿易がやりやすかったり、やりにくかったりとありますね。   色々とこのCFAに関しては問題視されているのですが、 それに関しては長くなりまくってしまうのと、あまり偏った発言はNPO内ではできないので、 僕の個人のブログででもいずれ書きたいと思います^^;   どこで発行されたかも分かります! ちなみに各国で通貨を生産してはいるそうなのですが、どうやって見分けるんだろう? って思ったら見分ける方法ありました! 写真の右側のシリアルナンバーをみてください。 最後にTあるいはBってありますね。 Tはトーゴで発行されたもの、Bがベナンです。 頭文字がとってるのか〜と思い、え?じゃあブルキナファソは?? と思ったらC でした(笑)マリはD。どういうこっちゃ。 やはり今住んでいるのはベナンなので、殆どがBですが、たまーにTを見ます。 まだそれ以外見た事ないので、帰国までに他の発行国のセファを見れたらいいなと思っています。  ...

11 11月

【アフリカ×浴衣】Chérie COCO代表|川口莉穂さん動画コメント

元青年海外協力隊でベナンに派遣されていた川口さん。 隊員時代に近所のお母さんが仕事がなく暮らしているのを見て、 クラウドファンディングにて資金を集め、ミシンを提供。 市場に溢れている普通のテイラーとしてだけではなく、 「アフリカ×浴衣」を中心としたオリジナルの商品を日本人向けに販売しています。 AYINAはChérie COCOと川口さんの活動を応援しています。 先日行われた山形ベナンフェスティバルにて、動画メッセージをいただいたので共有いたします。 ぜひご覧ください!   ...

10 11月

ベナンの日本人では不思議な言語文化

副代表の内藤です!         本日は、ベナンの日本人ではちょっと想像しがたい言語文化についてお話しますね。   ベナンは他民族国 まずベナンにはフォン人、ヨルバ人、アジャ人、バリバ人、プール人、ソンバ人などなど 多数民族がおり、それぞれの民族が独自の言語を話します。 僕もいくつかの言語を聞かせてもらいましたが、それぞれ全く違う単語ですね。 例えば協力隊で滞在していたルワンダはキニアルワンダという現地語を使いますが、 東アフリカの共通言語スワヒリ語に非常に似ていたりします。 共通言語としてはフランス語がありますので、例えばお店の看板や、国営放送、新聞などはフランス語表記です。 ただ、田舎の方だったり老人の方々は民族言語しか話せない人が存在します。   ベナン人同士会話が出来ない?! つまりそれはどういう事か? ベナン人同士だけど、会話が出来ない人もいるという訳です。 日本人の私たちからするとちょっと驚きですが、こういった言語文化はアフリカではよくある話です。 そしてそれが決して悪い訳ではないです。 国内で異文化が存在しているという事は、国内で異文化交流が出来たり、 文化が違うという事は、考え方も違ったりするので、国として色々な視野を持っているという訳です。   ベナン人の言語取得能力の高さ そして、この多言語文化はベナン人の言語取得能力も向上させていると言えると思います。 僕が会ったベナン人のみでの統計になってしまいますが、 彼らは自分の民族の言葉、フランス語の2カ国は話せる人が殆どです。 さらに、隣の村の民族の言葉を知っている人もしばしば。 つまり国内にいるだけでバイリンガル、トリリンガル、それ以上が存在しています。   英語もなかなか上手! 国内では基本必要のない英語に関しても、教育方法は決していいとは言えない中で、 日本人よりは平均以上に会話力はあると思います。 先日使ったタクシーのドライバーは少ない単語でしたが、かなりコミュニケーションが取れてました。 「どこの英語学校で習ったの?」 と聞くと、 「うちはお金がなかったから学校は行ってないよ。ラジオを聴いたり、お客さんに教えてもらったんだ」 と言っていました。それであのレベルは凄いです。   日本語も出来ちゃう! そして日本語に関しても、ゾマホンさんの努力の甲斐もあり(日本語学校が4つもある)、 たまに道行く人に「コンニチワ〜」と言われたりします。 軽い会話は出来る人もいますね。 AYINA Beninスタッフのジュリアンさんも6ヶ月の日本滞在でかなり日本語が話せるようなっていたので、 彼らの言語取得能力は本当に高いと思います!     皆さんもベナンに来ることがあれば、この不思議な言語文化をぜひ体感してみてください!...

8 11月

【盛況御礼】ベナンフェスティバルin山形終了!

AYINA JAPAN 東北支部 土屋みなみです         以前こちらで紹介した 西アフリカ・ベナンフェスティバルin山形 無事に終了しました! ベナン人の自己紹介タイム! (左から代表のゾマホン、ビンセントくん、土屋、マリエッタさん)   当日は50名を超えるお客様にご来場いただき、 AYINAブースや Cherie COCOさんの商品販売ブース、 代表ゾマホンの奥様が出店してくださった販売ブース、 そしてプレゼンテーションや試食タイム、ダンス鑑賞を通じて ベナン共和国の魅力の一端をご紹介!   AYINAブースの様子   「ベナンに行ってみたくなりました!」 「お料理大変おいしかったです」 等のあたたかいお言葉をいただき、準備の疲れが吹き飛びました。 特にお料理は大人気でした!   当日のお料理作り(左からビンセントくん、マリエッタさん)   当日振る舞われたベナン料理!!     本イベント開催の機会をくださった、 国際ロータリー第2800地区山形米山学友会の尤先生、 大変ご尽力くださった山形市国際交流協会の李さん、 後援を賜った山形県国際交流協会、 ベナン人のマリエッタさん、ビンセントくん、 前日・当日ご協力くださったボランティアの方々、 そして当日お越しいただいたすべての皆様に この場をお借りして厚く熱く御礼申し上げます。 皆様のおかげで、なんとか終えることが出来ました。 本当にありがとうございました。   引き続き、より良いイベントが開催できるよう精進してまいります! 次のイベントin東北も楽しみにしていてください☆   追伸:AYINAのフェイスブックでも宣伝していました~(今更ですが)...

7 11月

アフリカとの出会いのお話③

副代表内藤です!         さてアフリカとの出会いも第三弾です。過去の投稿は以下でご覧ください。 アフリカとの出会いのお話① アフリカとの出会いのお話②   本日は最終章です。 青年海外協力隊として決まってから出国までをお話しします!   青年海外協力隊が決まり始めた事   無事、アフリカへの切符を手にいれた僕ですが、 実際に派遣されるまでには半年以上ありました。でも会社は辞めました。 生半可な気持ちで働き続けるのは、僕にとっても会社にとっても良くないと思ったからです。 動いてないと気が済まない僕は、ある事を始めます。   ブログ 体力作り 英語の勉強   この3つです。 まずブログ。当時始めた理由は「自分の活動記録を残したい」それだけでした。 ですが、このブログが様々な出会いやチャンスを生み出していきます。 こちら、記念すべき初投稿のブログですね。 初投稿ブログ「ルワンダから観た世界〜内藤俊輔BOOK〜」 なんと4年も前です!   体力作り。アフリカで生きていくには体力をつけておいて損はないと理由です。 現に社会人になってからの5年間。全く運動をしなかった僕は、脱ぐとがっかり体型。 運動しては5分で足をつるという情けない体力になっていました。 ボクシングやジムでのトレーニングを始めました。   そして、英語。TOEIC280点という点数をたたき出してしまった僕は流石に少し焦り、 近所の英会話学校に通い出します。 How are you? と言われても何も返せない自分が情けなった事を覚えております。 また国際交流パーティなるものにも参加しましたね。     ブログからの最初の大きな出会い   そして、その開設したブログから大きな出会いがありました。 同じように協力隊が決まり、ブログを書いていたJという人間と出会い、 そこからさらに数名が集まり、食事をしました。 なぜ協力隊行きを決めたのか?将来どうするか? などの話で盛り上がりました。その時自分の意識のぶっちぎりな低さを認識しました(笑) 今でも彼らとは同志であり、場所は違えど、心は繋がっているという想いは一緒です。     派遣前訓練にて、さらなる同志   そして青年海外協力隊は、派遣前に「派遣前訓練」というものがあります。 約2ヶ月に渡り、長野県の駒ヶ根あるいは福島県の二本松にある訓練所にて住み込みで 語学と協力隊としての心得を学ぶ場です。ここをクリアして初めて協力隊員として認定されます。 平均では150〜200名近くいる同期ですが、当時は史上最小クラスで57名だったかな? ということもあり、全同期と認識を持つ事が出来、ここでも同志が出来ました。 僕は勉強というのが本当に苦手なので、アフリカでの生活よりもここが100倍辛かったです(笑) 飲み会を開く事に全力を注いでましたからね(笑) 語学も相変わらずぶっちぎりで最下位の実力で、 最後は英語が出来る同期のサポートをもらいまくり、無事最終試験も合格しました。 いやー本当に感謝です。     お世話になった人たちに見送られ   そして忘れてはいけません。アフリカ行きを決意してから今まで、沢山の方達に応援していただきました。 親戚、友人、社会人時代にお世話になった方、 バンド時代のメンバーなどなど本当に皆さんから見送っていただき、 力をもらいまくりましたね。今でもそれが僕の原動力になっています。 その時の様子をブログでも書いていました。やっぱりブログは書いていて正解です。 いってきます!!     というわけで、アフリカの出会いまでのお話はこれで終了です。 アフリカを知り、行くまでに1年ほどかかりましたね。 今度は機会があれば青年海外協力隊時代の話を書こうと思いますが、 これは多分超々長編になるので面倒臭いしっかり時間をみつけてから書きますね! 全てご覧いただいた方ありがとうございました!  ...