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AYINAメンバーBlog – ページ 14 – 特定非営利活動法人AYINA
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14 11月

AYINA Beninと二回目のミーティング!

副代表内藤です! AYINA Beninメンバーと2回目のミーティングをしてきました! 前回の報告はこちら 今回は忘れずに写真撮ってきましたよ〜! こんな感じでミーティングしてます。 メンバーはもっといますが、予定が合わなかったり、遠くにいたりで この日は10名弱。 前回がアイデアの絞り出しだったので、現実的に「いつ、どこで、どうやって」を話し合いました。 日本人風にやればもっと早く話し合えると思いましたが、 敢えて口出しはせずにあくまで傍観者としていましたが、 気がつけば4時間もやってました(笑) まだまだ話すことはありましたが、みんなが疲れて終了というアフリカらしいミーティングでしたね。 でも、いくつかのプロジェクトは来週からにでも動き出せそうな雰囲気でした。 副代表の自分の役割としては、 ・彼らを定期的に鼓舞する(指示ではなく鼓舞です) ・AYINA BeninとJapanの連携強化 となってますが、問題が一つ。 ほとんどのメンバーがフランス語しか話せない。 そして私、英語しか話せない。 というわけで、いよいよ(遅いわ)フランス語を本気で学ばないといけなくなってきました。 頑張ります。 とりあえず、今回の渡航では最後のミーティングとなりました。 次回またベナンに来た時にどれだけプロジェクトが動いているか、楽しみです! 帰国してからも連絡取り合いますけどね! AYINA Japanも負けてられない!  ...

12 11月

アフリカの通貨事情について(特に西アフリカ)

副代表内藤です! アフリカってドル?ユーロ?って聞かれたことは、数少なくありません。 今回はアフリカの通貨事情(特に西アフリカ)についてお話したいと思います。   まずは画像で一気に確認! 文字で紹介していくと読む側も書く側も大変ですので(書く側は頑張れって感じですが)、 画像で確認してもらいましょう! 黒字で書かれているのが、国名です。 赤字で書かれているのが、通貨名です。 左上にEuroと書かれているのが見えるかと思いますが、 ここはアフリカの独立国ではなくまだヨーロッパのある国の領地です。 要するにアフリカ大陸の独立国ではドルもユーロも公式通貨ではありません。   共同通貨も存在します 東から南にかけては見事に国ごとに通貨が違うのがわかると思います。 僕が協力隊でいたルワンダもルワンダフランという現地通貨でした。 しかし、共同通貨もあります。 中央アフリカと西アフリカでCFA(セファ)フランという通貨があります。   CFAとは? 対象国は、元々はフランス領であった国々が殆どです。 通貨だけに関わらず、アフリカは植民地時代の名残がまだまだ残っているんですね。 なのでイギリス領だったガーナなどはCFAではないというわけです。   中部アフリカCFAフランは カメルーン、中央アフリカ、チャド、コンゴ共和国、赤道ギニア、ガボンで使用されており、 西部アフリカCFAフランは ベナン、ブルキナファソ、コートジボワール、ギニアビサウ、マリ共和国、ニジェール、セネガル、トーゴで使用されています。 中部のCFAは西部で使えないし、西部のCFAも中部では使えません。   CFAはユーロと固定レートになっており、1ユーロ=655.957CFAフランとなっています。 つまり通貨コントロールが出来ない(ユーロ固定だから)という、 経済的超デメリットを抱えているのですが、 メリットは周辺国でそのままCFAを使う事ができる事が多いという事でしょうか。 あとは周辺国貿易がやりやすかったり、やりにくかったりとありますね。   色々とこのCFAに関しては問題視されているのですが、 それに関しては長くなりまくってしまうのと、あまり偏った発言はNPO内ではできないので、 僕の個人のブログででもいずれ書きたいと思います^^;   どこで発行されたかも分かります! ちなみに各国で通貨を生産してはいるそうなのですが、どうやって見分けるんだろう? って思ったら見分ける方法ありました! 写真の右側のシリアルナンバーをみてください。 最後にTあるいはBってありますね。 Tはトーゴで発行されたもの、Bがベナンです。 頭文字がとってるのか〜と思い、え?じゃあブルキナファソは?? と思ったらC でした(笑)マリはD。どういうこっちゃ。 やはり今住んでいるのはベナンなので、殆どがBですが、たまーにTを見ます。 まだそれ以外見た事ないので、帰国までに他の発行国のセファを見れたらいいなと思っています。  ...

10 11月

ベナンの日本人では不思議な言語文化

副代表の内藤です!         本日は、ベナンの日本人ではちょっと想像しがたい言語文化についてお話しますね。   ベナンは他民族国 まずベナンにはフォン人、ヨルバ人、アジャ人、バリバ人、プール人、ソンバ人などなど 多数民族がおり、それぞれの民族が独自の言語を話します。 僕もいくつかの言語を聞かせてもらいましたが、それぞれ全く違う単語ですね。 例えば協力隊で滞在していたルワンダはキニアルワンダという現地語を使いますが、 東アフリカの共通言語スワヒリ語に非常に似ていたりします。 共通言語としてはフランス語がありますので、例えばお店の看板や、国営放送、新聞などはフランス語表記です。 ただ、田舎の方だったり老人の方々は民族言語しか話せない人が存在します。   ベナン人同士会話が出来ない?! つまりそれはどういう事か? ベナン人同士だけど、会話が出来ない人もいるという訳です。 日本人の私たちからするとちょっと驚きですが、こういった言語文化はアフリカではよくある話です。 そしてそれが決して悪い訳ではないです。 国内で異文化が存在しているという事は、国内で異文化交流が出来たり、 文化が違うという事は、考え方も違ったりするので、国として色々な視野を持っているという訳です。   ベナン人の言語取得能力の高さ そして、この多言語文化はベナン人の言語取得能力も向上させていると言えると思います。 僕が会ったベナン人のみでの統計になってしまいますが、 彼らは自分の民族の言葉、フランス語の2カ国は話せる人が殆どです。 さらに、隣の村の民族の言葉を知っている人もしばしば。 つまり国内にいるだけでバイリンガル、トリリンガル、それ以上が存在しています。   英語もなかなか上手! 国内では基本必要のない英語に関しても、教育方法は決していいとは言えない中で、 日本人よりは平均以上に会話力はあると思います。 先日使ったタクシーのドライバーは少ない単語でしたが、かなりコミュニケーションが取れてました。 「どこの英語学校で習ったの?」 と聞くと、 「うちはお金がなかったから学校は行ってないよ。ラジオを聴いたり、お客さんに教えてもらったんだ」 と言っていました。それであのレベルは凄いです。   日本語も出来ちゃう! そして日本語に関しても、ゾマホンさんの努力の甲斐もあり(日本語学校が4つもある)、 たまに道行く人に「コンニチワ〜」と言われたりします。 軽い会話は出来る人もいますね。 AYINA Beninスタッフのジュリアンさんも6ヶ月の日本滞在でかなり日本語が話せるようなっていたので、 彼らの言語取得能力は本当に高いと思います!     皆さんもベナンに来ることがあれば、この不思議な言語文化をぜひ体感してみてください!...

8 11月

【盛況御礼】ベナンフェスティバルin山形終了!

AYINA JAPAN 東北支部 土屋みなみです         以前こちらで紹介した 西アフリカ・ベナンフェスティバルin山形 無事に終了しました! ベナン人の自己紹介タイム! (左から代表のゾマホン、ビンセントくん、土屋、マリエッタさん)   当日は50名を超えるお客様にご来場いただき、 AYINAブースや Cherie COCOさんの商品販売ブース、 代表ゾマホンの奥様が出店してくださった販売ブース、 そしてプレゼンテーションや試食タイム、ダンス鑑賞を通じて ベナン共和国の魅力の一端をご紹介!   AYINAブースの様子   「ベナンに行ってみたくなりました!」 「お料理大変おいしかったです」 等のあたたかいお言葉をいただき、準備の疲れが吹き飛びました。 特にお料理は大人気でした!   当日のお料理作り(左からビンセントくん、マリエッタさん)   当日振る舞われたベナン料理!!     本イベント開催の機会をくださった、 国際ロータリー第2800地区山形米山学友会の尤先生、 大変ご尽力くださった山形市国際交流協会の李さん、 後援を賜った山形県国際交流協会、 ベナン人のマリエッタさん、ビンセントくん、 前日・当日ご協力くださったボランティアの方々、 そして当日お越しいただいたすべての皆様に この場をお借りして厚く熱く御礼申し上げます。 皆様のおかげで、なんとか終えることが出来ました。 本当にありがとうございました。   引き続き、より良いイベントが開催できるよう精進してまいります! 次のイベントin東北も楽しみにしていてください☆   追伸:AYINAのフェイスブックでも宣伝していました~(今更ですが)...

7 11月

アフリカとの出会いのお話③

副代表内藤です!         さてアフリカとの出会いも第三弾です。過去の投稿は以下でご覧ください。 アフリカとの出会いのお話① アフリカとの出会いのお話②   本日は最終章です。 青年海外協力隊として決まってから出国までをお話しします!   青年海外協力隊が決まり始めた事   無事、アフリカへの切符を手にいれた僕ですが、 実際に派遣されるまでには半年以上ありました。でも会社は辞めました。 生半可な気持ちで働き続けるのは、僕にとっても会社にとっても良くないと思ったからです。 動いてないと気が済まない僕は、ある事を始めます。   ブログ 体力作り 英語の勉強   この3つです。 まずブログ。当時始めた理由は「自分の活動記録を残したい」それだけでした。 ですが、このブログが様々な出会いやチャンスを生み出していきます。 こちら、記念すべき初投稿のブログですね。 初投稿ブログ「ルワンダから観た世界〜内藤俊輔BOOK〜」 なんと4年も前です!   体力作り。アフリカで生きていくには体力をつけておいて損はないと理由です。 現に社会人になってからの5年間。全く運動をしなかった僕は、脱ぐとがっかり体型。 運動しては5分で足をつるという情けない体力になっていました。 ボクシングやジムでのトレーニングを始めました。   そして、英語。TOEIC280点という点数をたたき出してしまった僕は流石に少し焦り、 近所の英会話学校に通い出します。 How are you? と言われても何も返せない自分が情けなった事を覚えております。 また国際交流パーティなるものにも参加しましたね。     ブログからの最初の大きな出会い   そして、その開設したブログから大きな出会いがありました。 同じように協力隊が決まり、ブログを書いていたJという人間と出会い、 そこからさらに数名が集まり、食事をしました。 なぜ協力隊行きを決めたのか?将来どうするか? などの話で盛り上がりました。その時自分の意識のぶっちぎりな低さを認識しました(笑) 今でも彼らとは同志であり、場所は違えど、心は繋がっているという想いは一緒です。     派遣前訓練にて、さらなる同志   そして青年海外協力隊は、派遣前に「派遣前訓練」というものがあります。 約2ヶ月に渡り、長野県の駒ヶ根あるいは福島県の二本松にある訓練所にて住み込みで 語学と協力隊としての心得を学ぶ場です。ここをクリアして初めて協力隊員として認定されます。 平均では150〜200名近くいる同期ですが、当時は史上最小クラスで57名だったかな? ということもあり、全同期と認識を持つ事が出来、ここでも同志が出来ました。 僕は勉強というのが本当に苦手なので、アフリカでの生活よりもここが100倍辛かったです(笑) 飲み会を開く事に全力を注いでましたからね(笑) 語学も相変わらずぶっちぎりで最下位の実力で、 最後は英語が出来る同期のサポートをもらいまくり、無事最終試験も合格しました。 いやー本当に感謝です。     お世話になった人たちに見送られ   そして忘れてはいけません。アフリカ行きを決意してから今まで、沢山の方達に応援していただきました。 親戚、友人、社会人時代にお世話になった方、 バンド時代のメンバーなどなど本当に皆さんから見送っていただき、 力をもらいまくりましたね。今でもそれが僕の原動力になっています。 その時の様子をブログでも書いていました。やっぱりブログは書いていて正解です。 いってきます!!     というわけで、アフリカの出会いまでのお話はこれで終了です。 アフリカを知り、行くまでに1年ほどかかりましたね。 今度は機会があれば青年海外協力隊時代の話を書こうと思いますが、 これは多分超々長編になるので面倒臭いしっかり時間をみつけてから書きますね! 全てご覧いただいた方ありがとうございました!  ...

5 11月

アフリカとの出会いのお話②

どうも!副代表の内藤です!         さてさて前回「アフリカとの出会いのお話①」では、 社会人を辞め、アフリカに行こうと決意したところまで書きました。では続きです!   アフリカに行くと決めたものの・・・   さて、アフリカに行くと意気込んだはいいものの、 どうやって行ったらいいのか全くわかりませんでした。 僕「今までアフリカに関わった事は一度もないし、英語も話せない。え、もしかして無理??」 と一瞬だけ思いました。 でも気がつけばGoogle大先生と3時間ほど対談しておりました。 アフリカ 行った事ない どうしたら みたいなワードで検索しまくりました。 するとどうでしょう。青年海外協力隊という情報にたどり着きました。 恥ずかしながら、僕はこの青年海外協力隊というワードすら知りませんでした。 僕「なんだこのいいとも青年隊みたいな怪しい名前は・・・」 調べてみると、外務省直属のJICAたるものが、国の税金で派遣をしていると。 僕「余計に怪しい。よし受けてみよう!」 僕は昔から怪しいと思うと一回体験してみないと気が済まない性格だったのです。   トーイックってやつがいるらしい   さて、応募方法を見てみると、志望動機やら面接やらあるみたい。 実は僕はこういうの大得意なんです、特に面接。 大学もAO入試で面接突破したし、就活も面接までいったのは100%受かってました。 ただ一つ目に留まったのはトーイックとやらです。 僕「トーイックってたしか英語のやつだよな。受けないといけないのか」 見てみると、最低基準は330点だそうだ。最高点が990点。 僕「330点なら多分受かるっしょ!」 という事で全く勉強せずにトーイックに臨む事になります。これであとで痛い目にあう事も知らず・・・   トーイックの結果は・・・   一次選考は健康診断と書類審査などでした。問題なく突破。 というか、おわかりいただけたと思いますが、僕は青年海外協力隊を完全に舐めてたんです。 なんと受かるまで。 こんな怪しい隊なんて誰でも入れるっしょ。と思ってたんです。 だからトーイックも勉強しませんでした。そして二次選考はトーイックを受けました。 僕「ぜ、、全然分からない。まず問題の説明が分からない・・・」 と今更焦りましたが、もう手遅れですね。 二次選考では面接もありました。圧迫面接をされるというように聞いてましたが、 僕には最初だけでした。 面接官「君は、志望動機でアフリカへの想いが強い割に、学生時代はバンドをしていて、英語も出来ないって書いてあるけど、なんなの?」 確かに。てか僕はなぜそんな馬鹿正直に書いたのでしょうか? それは根拠なき自信があったから。違います、完全に舐めてたからです。 怖いもの知らずだった僕は 僕「アフリカでいい活動が出来るかは、経験値でも語学力でもなく、情熱だと思っています。」 と堂々と答えました。面接官は苦笑いしてました。 多分こんなアホはなかなかいないんでしょう。 そんなこんなで面接は終わりました。あとは結果を待つのみ。 しかしその前にトーイックの結果が届きました。 結果・・・280点。え、これやばいんじゃないのか・・・。 さすがに焦ったけど、もうあとは結果待ちですからね。 もしダメでも、何としてでもアフリカに行ってやるともう決めてましたから不思議と焦りませんでした。 そして無事合格。 青年海外協力隊としてアフリカに行く切符を手に入れました。       はい、今回はここまでです。 次回は青年海外協力隊として派遣されるまでのお話をしたいと思います。  ...

1 11月

アフリカとの出会いのお話①

どうも、副代表の内藤です!         今回は僕がアフリカに出会うまでをなるべく読みやすくストーリー化してお話したいと思います!   最初はアフリカのアの字も興味がなく、彼女一筋だった   遡る事、社会人時代。 当時の僕には愛すべき恋人がいました。 元々社会人にすらなる気がなく、バンドでプロを目指そうという夢を持っていましたが、 その恋人と結婚する為に、社会人になる事を決意しました。 僕「彼女を幸せにするには、一気にお金を稼がないといけない!そんな会社に入ろう!」 そうして入った会社は、東証企業ではあるものの、まだまだベンチャー気質の残る会社でした。 途中から彼女とは同棲も始めました。 僕は、本気でこの会社でトップを取ろうと思い、文字通り365日常に仕事モードでした。 彼女「今日は何時に帰ってくるの?」 僕「ごめん、仕事が終わらないから今日は帰れない」 こんな日が続きました。その甲斐もあってか、同期でもトップで昇格。上司も元上司になり、僕の部下になりました。 彼女「ねえ、わたしと仕事どっちが大事なの?」 僕「・・・」 彼女の為に選んだ会社だったのに、いつの日かこんな質問をされても答えられなくなっている自分がいました。 そして無情にも時は過ぎ、ある時彼女が家を出て行ってしまいました。 そこで僕は目が覚め、同時に今まで無理していたガタが一気にでてしまいました。 肺炎になったり、声が出なくなったり、なんと痔も発症し、手術までしました(笑)     精神的どん底の中、響いたのは母の言葉だった   それでも仕事は続けていましたが、もう何もやる気が起きません。 営業成績も落ち込み、スーパースター扱いだった僕も、 窓際族になっちゃうんじゃないかってくらい影が薄くなりました。 そんな時一度実家に帰った時に、母からふとこう言われました。 母「あんたの人生なんだから、好きな事やりなさい」 全然母には相談もしてなかったし、元気に振舞ってたつもりでしたが、 やはり母親にはなんとなく無理してるのがわかっていたんでしょうか。 それから僕は、 僕「まずは自分の本当にやりたい事をもう一度探そう」 と思いました。昔の音楽の道に戻る手もありましたが、まずは新しい道を探そうとします。   アフリカで活動してた人、してる人に出会う   仕事は相変わらず忙しかったですが、合間をぬって、 今の自分と全く違う業界の人と会ったりするようにしてみました。 テレビ業界、人材派遣、工事現場、飲食店経営、ノマドワーカー、などなど沢山。 話を聞いていて確かに魅力はありますが、魅了はされませんでした。 そんな時に、今は別な事をしてましたが、昔アフリカで活動されていた方の話を聞きました。 僕の知っているアフリカっていうのは、 紛争、貧困、野生動物、汚職などネガティブな印象しかなかったのですが、 その人が語るアフリカは全く違うものでした。 男性にしかわからないかもしれませんが、 ドラゴンクエストみたいな新しいRPGの世界のように感じました。 そこからアフリカ関連で仕事されてる方のセミナーにいってみたりしました。 やはりそういった人たちも僕の知らないアフリカを語ってくれ、 同時にネガティブなアフリカは僕らも間接的に関係しているという事実を知りました。 もう僕の頭の中はアフリカで一杯になってしまってました。 僕「よし!アフリカにいくぞ!!」 そう決めました。       今回はここまでです!また近日続きをアップしますね!...

30 10月

ベナンの治安についてルワンダと比べてみた

どうも!副代表内藤です!         今日はベナンに2ヶ月住んでいる僕が、ベナンの治安について語ってみようと思います! といっても対象があったほうがわかりやすいとは思うので、2年間住んだルワンダと比べてみましょう。   道路状況について   道路を歩いていたり、車で走っている時に危険を感じる率ですね。 これはルワンダの方が状態は良いと言えると思います。 理由は、穴ぼこの量、道路の整備状況、交通ルールの管理化などが挙げられますかね。 写真のように電線がぶら下がった状態だったりもあります。 ルワンダは、都心部にいくと、道路状況はかなり良いです。 警察もかなりいて、交通管理しているのがわかります。 ベナンも、都心部は少しマシですが、ルワンダと比べると劣りますね。 まずバイクが左右関係なく、わずかな隙間でもかなりの速度で突っ込んできます。 あと、10分ほど走っていると、必ず車が路肩は愚か、道路で思いっきり故障してます。 これでも渋滞や新しい事故を誘発してるんじゃないかなと思いますね。   夜間歩行について   これは元々夜間は歩かないようにする事が大前提の話ですが、 どうしても歩かないといけない状況にあった時の場合です。 これも、道路状況とも絡んできますが、ルワンダの方が少し安全度が高い気がしてます。 ルワンダは公共施設付近には警察やガードマン的な人が多くいますが、 ベナンはいるけど、ルワンダほどではないですね。 勿論両者、夜間にフラフラと一人で歩いていればスリに狙われるでしょう。 特にベナンはビーチ付近は少し危険と現地の人も言っているので、僕も気をつけたいと思っています。   人について   これは両者良い意味で同点です。 ガーナとか、ケニアとかに比べて人の気性は温かいです。本当に優しい。 強いて言えばルワンダも少ない方ではありますが、チンチョンなどのからかい言葉は、ベナンが圧倒的に少ないと思いますね。 勿論中国人と思って、ニーハオとかは言ってきますが、それは差別じゃなくて、本当にコミュニケーションが取りたいだけなんだなと理解できます。     まとめると、ベナンは 夜間歩行や危ない道は歩かない、身なりも高級っぽくしてない限りは人は良いのでかなり安心して住める場所 と言っても良いと思います。 なんども言いますが、日本と同じ感覚で過ごしてはダメですよ。 最低限の注意は常にはっておきましょう。僕もルワンダでもなるべく現地の友達と歩くようにしてました。  ...

28 10月

AYINA Beninミーティングに初参加してきました!!

副代表の内藤です!         昨日は AYINA Beninメンバーと初のミーティングをしてきました!! 集中し過ぎて僕とした事がミーティング光景を写真撮り忘れました・・・ 彼らですね! 今回は、AYINA Beninの再度意思統一と、今進行中、企画中のプロジェクトを話し合いました。 今進行中なのは、農業研修ですね。 そして、今後動いていくものはざっくりこんな感じです!   ・ナショナルホームステイ ベナン国内での文化交流(北と南では文化も言語も多少違う為) ・リージョナルホームステイ 周辺国とのホームステイ ・ワークステイ インターンシップで文化とスキルを交換 ・文化交流フェスティバル ・イノベーションコンテスト ・AYINA情報Webマガジン   などなど続々と出てきました。今回教育関連の担当者が不在だったので、ここにまだ他のプロジェクトも加わります。 アイデアも良いし、メンバーのやる気もあるのですが、プランニングが弱いと感じたので、2週間後にそれぞれ 「遂行するにはヒト、モノ、カネの何が必要で何が足りないか」 「大まかな活動計画」 などを持ち寄ってもらい次回は遂行にむけた話し合いをする事になりました。   AYINA JapanとAYINA Beninは連動する事で大きな相乗効果を生み出すので、 本当にこれからが楽しみになりました!...

24 10月

人生でこれを食べるときが来るとは、、、、、私の常識

おひさしぶりです。 AYINAコアメンバーのまいです。         今月もタンザニアからお送りします。   異文化と接すると誰もが「価値観、常識とはなんだろう」というような、もやもやした気持ちになるのではないでしょうか。   もちろん日本でも、それまで関わったことのない世界をのぞく機会を得ると、同じような感覚を得た経験もあります。     合計して約1年と半年、タンザニアに滞在していますが「初めて」の嵐です。   タンザニアの最西に位置するキゴマ州は、タンガニーカ湖を挟んで、ザンビア、DRC(コンゴ民主共和国)、ブルンジと接しています。 アフリカは一国でも多様な文化が存在しますが、ここは隣国との関わりが強い場所です。 なので、難民キャンプも多く存在し、外務省の安全情報で危険地域として認識されています。   しかし、ダルエスサラーム(経済上は首都と言われている)に比べたら驚くほど安全です。 というのも、セキュリティ対策がしっかりしている印象をもちました。 夜も外灯で町は明るく、警察が警備をしています。 小さい町なので顔見知りの多いところというもの関係しているのではないかなと思います。 強いて安心できないところを指摘するならば、物乞いの多さです。 町が小さいので、それだけ密集しているからなのか。数でも多いのか。 それにしても、きれいな恰好をしている女の子も「外国人!お金ちょうだい!」と通りすがりに言ってきます。 お金ちょうだいって挨拶なんじゃないかなと勘違いしそうです。   キゴマの町外れにある、とある村へ行ったところ、 村に行くとそれはそれは「お金ちょうだい」「外国人だ!お金もってるぞ」の声がそこらじゅうから聞こえます。 まあ、あいさつなんです。ここでの常識です。 色が白い人はお金持ち、「お金ちょうだい」と声をかけよう。 そう思うと のほほーん と対応できるので おすすめします。笑     調査を小学校対象にしている関係で、初めての村訪問が小学校からはじまります。 村を歩き始めると、必然と子どもたちに囲まれて歩く状況に。 お家を訪問すると、やはり援助の話になります。 しかし、一緒にいた子どもたちが私の状況を理解してくれ、 「学生だからお金ないよ!調査にきているんだから!」 と会う大人に説明してくれるではありませんか!!!!! 天使に出会った気持ちになりました。     そんな天使たちとあるいていると、 女の人たちが粘土のようなものをこねこね。         何か尋ねると 「ペンバ」 としか言ってくれない。 どう見ても「土」「粘土」である。 ペンバは島の名前でしか知らない単語なので、何に使うんだろうと考えていると、一緒にいた天使のひとりが   ぱく。               たべたーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!     食べちまった!!!! 土かどうか聞くとやはり土だった。   それを食べた!!!これは食べ物だったのだ!!!!!!!! 本当に土を食べる人は存在した。そして、わたしも初めて「土」を食べた。     子どもたちにとっては美味しいそうです。   わたしだけでなく、おそらくみなさんにとっては 「想像通りの味」 です。     土     白い色の土はブルンジ産、赤い色の土はタンザニア産   白のペンバは、まさにチョークの味です。(チョーク食べたことないけど) 赤のペンバは、土でしかない。     私の中に、土は食糧になりうるという認識が芽生えました。 あくまで「なりうる」ですけど。笑 常識としては受け入れがたい、「初めて」の経験でした。   タンザニアでは、妊婦さんの食べ物として知られているそうです。         プチコラム~Bongofleva~   タンザニアのヒップホップはボンゴフレーバーと呼ばれています。 生活の苦しさを明るい音楽で表現しているものが多いです。 今日は、その特徴的は曲を紹介します。 Harmonizeによる ”MATATIZO” 両親を含め、家族みんなが生活を自分に頼っている、生活苦をうたっています。 内容は辛いものなのにリズミカルで耳から離れません!!! ...