AYINAメンバー ケニア ケニアインターン体験記 土屋みなみ

キベラスラム&マゴソスクールツアーに参加①【ケニアで工学研究インターンシップ~アフリカ×ICTの可能性を探しに~】

Mambo(シェンという言葉でこんにちは、やあという意味です)

2月から4月までの3ヶ月間、

ケニア・ナイロビにある農業・家畜に関する国家研究機関KALRO
(Kenya Agriculture & Livestock Research Organization)

にてインターンシップ中の、

AYINA東北支部長土屋みなみです

あっという間に帰国が近づいてきておりますが、

書きたい内容が溜まる一方でブログにできていないので、

この調子では帰国後もブログが続きそうです…

何卒温かい目でお付き合いください…

 

さて今回は、私の原点回帰ともいえる内容。

ケニアに来たら行ってみたかった、

キベラスラムとマゴソスクールのお話です。

 

ケニアに30年近く住んでいらっしゃる

早川千晶さん(以下千晶さん)が主宰するスタディーツアーに

参加させていただきましたので、おすそ分けしますね

 

土屋とスラム

需要はないと思いますが、

ここで私とスラムについて書かせていただきます笑

 

私が海外で活動することに興味を持ったのは、

小学5年生の時でした。

 

総合的な学習の時間
(この授業があったということで世代がバレる…苦笑)で、

「世界の子供たちのいま」というテーマで調べたことをまとめて発表することに。

 

その時に同じ地球でありながら状況が違う国が多くあることを知り、

子供ながらにショックと使命感を覚えました。

 

そんな時ある漫画に出会います。

 

そこにはフィリピンのスモーキーマウンテンという

スラムで働く国境なき医師団の様子が描かれていました。

スモーキーマウンテン http://www.mofa.go.jp/

 

直感でこの仕事がしたいと思い、

それ以来浪人時代まで医師を目指すことになります。

 

今は違う道ですが、

それでも世界と繋がる活動をしているという意味では

初心貫徹なのかもしれません。

 

とにかく、

私が世界と関わる仕事をしたいと思った原点がスラムだった、

ということで今回は原点回帰の意味も込めて

キベラスラムにお邪魔したのでした。

 

人が住んでいるところに、

知らない日本人がずけずけと入っていっていいものか

と考え今回のツアー参加を悩み、

当日の序盤も申し訳ない気持ちが渦巻いていました。

 

しかし千晶さんから

「スラムの人たちは話をするのが好きなんです」

といっていただき、

また本当にみなさん温かく迎えてくださって、

お邪魔させてもらってありがたかったし

行くことを決意してよかったと思いました

 

土屋と早川千晶さん&ダン校長先生との出会い

またしても需要がないと思いますが、

ここで私と千晶さんとの出会いについて書かせていただきます笑

 

一言で言うとご縁の賜物!

私が初めて千晶さんをお見受けしたのは2017年の6月。

千晶さんとアフリカ太鼓ンゴマ奏者の大西匡哉さん、

そしてキベラスラムにある

マゴソスクールの校長先生ダン先生が日本で

「マゴソファミリー来日ツアー」

という講演会・演奏会ツアーをしていらっしゃいました

 

このツアーを教えてくださったのは、

仲良しの後輩の知り合いの方で、

山形大学にちょっとしたゆかりのある、

アマニヤアフリカのメンバーKさん

 

アマニヤアフリカとは仙台にあるNPOで、

「ケニアと日本を結ぶ夢の懸け橋として、
教育支援・経済的自立支援・文化交流を通して、
共に生き!共に成長し合える活動」

をしている団体です(HP参考

 

Kさんに

「ケニアに住んでいる私の友達で、
アマニヤアフリカと関係のある方が仙台でツアーやるから来ない?」

とお誘いいただき、

仙台会場にお伺いすることにしました

 

こじんまりとした、

奏者と観客が近いバーで千晶さんとまさやさん、

そしてダン校長先生とによるトークショー&ライブを体感。

 

トークのメインはダン先生だったのですが、

その言葉の持つ力強さと優しさに感動し、

もちろん音楽も素晴らしくて、

心身ともに熱くなる一時でした。

 

最後は一緒に前で踊らせてもらったんですよ~♪

ちなみにこれがきっかけでアマニヤアフリカさんとは関係が続き、

毎年6月に山形県東根市でおこなわれる

さくらんぼ種飛ばしワールドグランプリでのアフリカブース共同出店や、

過去に山形県米沢市の九里学園高校でおこなわれた

アフリカンフェスタin九里でのグッズ販売代行等、

AYINA東北支部は大変お世話になっております!

さくらんぼ種飛ばしワールドグランプリでのアマニヤアフリカさんのブース 毎年可愛い♪

 

それから時は過ぎ2019年4月。

ナイロビで千晶さんとダン校長先生と再会できた訳です。

 

驚いたのが、ダン校長先生が私を見るなり

「覚えてるよ」と声を掛けてくださったこと!嬉しすぎる…!

 

ケニアの方々は記憶力が良かったり

頭が良かったりする人が多いのですが、

「ダン校長先生の記憶力はすごいんです」

と千晶さん

 

ルオ族のダン校長先生 ルオ族にはこういう優しい目の人が多いです

 

もうこれだけで満足…

 

まずはキベラスラムにお邪魔しました

さて、ここからが本題。

 

当日集合場所に到着してから、

参加者全員軽く自己紹介をしました。

 

今回は私を含め5人が参加。

続いて千晶さんからケニアの歴史やキベラスラムについて説明していただきます。

 

以下、私が昔話風にアレンジしてお伝えしますね

 

昔々アフリカという土地で人類は生まれました。

その当時は自然が多く、人類はあまり多くありませんでした。

 

その少ない人類たちは自然の変化に対応して移動し、

民族混ざって仲良く、

「自然は人類のものではない、人類は所有すべきではない」

という考えの下、平等に平和に暮らしていたのです。

 

例えば、今のケニアにあたるところには42の民族が暮らしていました。

今でも動物さんと人類が一緒の芝生にいる光景が見られます

 

しかしあるとき、

遠くから知らないニンゲンがやってきて

「今日からここはお前らの土地ではない
私たちの土地だ
そして今日からこの人がここで一番偉くなるから、
税金というものを納めなさい」

と告げます。

 

おもてなし精神あふれるアフリカの人々は、

始めは土地を取られて税金のために働かされても

何も文句を言いませんでした。

 

ですが、徐々に違和感が募っていきます。

 

平和に暮らしていた彼らは戦う術を知らなかったので、

話し合いや歌で訴え始めました。

それなのに、知らないニンゲンたちにどんどん殺されていきました…。

 

そうこうしているうちに

知らないニンゲンたちがどんどんアフリカの大地にやってきて、

自分たちのものにしていきます。

 

そして例えばイギリスという国の軍のために

スーダンの人々が戦わされたように、

ヨーロッパという地域の戦争にアフリカの人々が使われていきました。

 

挙句の果てに戦争後には、

いらなくなった兵士たちが

今のナイロビのンゴング森等の近くの湿地に捨てられてしまいます。

 

その場所で、兵士ではなくなった人々が住み始めたのがキベラスラムの始まり。

ここはケニアある200個ほどのスラムのうち、

最大級かつ最も歴史が長いスラムとなりました。

 

スラムは遠く向こうまで広がっています

 

時は経ち1963年。ケニア共和国が生まれました。

 

元々住んでいた“ケニア人”は、結局土地は返してもらえず、

帰る場所がありませんでした。

 

それでも昔作られた白人の農場や

スラム等で何とか生きていこうとします。

 

建国の父と呼ばれるケニヤッタ大統領は

当時ハランベーというスローガンを掲げました。

 

意味は、みんなで助け合って一緒に働こう

 

つまり、ニンゲン(白人)を許して、

昔連れてこられてしまったアジア人も

みんな一緒になって多民族国家としてケニアを作っていこう

 

というものでした……

 

昔話はここでストップしますが、

説明の終わりに千晶さんは

「今でもスラムは生き抜くための場所。
人々はスラムに希望をもってやって来るのです。
キベラスラムは違法居住区なので国に頼ることはできないですが、
みんな夢を持って毎日生きています」

と教えてくださいました

泣きそうでした…

 

感情的になってしまったので、今回はここまで笑

いよいよ次回からキベラスラム内にお邪魔します

Tutaonana(トゥタオナナ:また会いましょう)

 

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