AYINA JAPANの活動 アフリカホームステイ ベナン

ベナンホームステイから始まる私の夢の1ページ【後編】

こんにちは。2018年12月22日から29日までベナンでお世話になりました、倉科と申します!この場をお借りして、私の夢の1ページ目を刻んだ、ベナン体験記を記させていただければと思います。

AYINA編集部より
「非常に素晴らしい内容だったので前後編に分けてお届けします!」

前編はコチラ

Entrepreneurial Leadership Institute(大学)での英語の授業

私が出発前から内藤さんにお願いしていたのは現地の学校視察でしたが、なんと内藤さんと現地スタッフの方は私に授業をする機会まで作ってくださっていたのです!授業テーマは大学側より「起業とリーダーシップ」という依頼があり、18才の学生が対象、そして何と授業時間は3時間…

正直に言いますと、授業テーマを聞いたのは出発10日前ほどで、ギリギリまで仕事があった私には準備時間が十分にありませんでした。ですが、結論から言いますと、間違いなくこの授業は自分の先生としてのキャリアの中で最も意義があり、転機となった授業と言えます。

授業テーマを聞いたときにすぐに自分の頭に浮かんだのが、私自身の友人でもある福島で農業を営んでいる日本人女性(Mさん)です。彼女は2011年の原発事故以来、福島の食の安全と信頼の回復につとめ、風評被害に負けずに農業を続けてきました。自ら会社も興したという点で、今回の授業にピッタリだと思い、彼女に焦点をあてた授業をすることに決めました。

現地スタッフの方の計らいで、学生さんたちだけでなく、ベナンの学校の先生などもいらっしゃり、総勢30名ほどを前に、ついに授業が始まりました。まずはウォームアップとして、学生さんたちに日本のイメージを尋ねてみました。多くの方が日本と言えば、車(“TOYOTA”など)、漫画(“NARUTO”など)というイメージを持っており、日本に対しては良いイメージを持っているようで、和やかな雰囲気で始まりました。

しかし、今回の授業は、2011年に起きた、日本がいまだに解決できていない未曾有の大惨事に関することであると伝えると、教室の雰囲気が変わりました。授業中、写真を多用して、学生さんたちにその写真は果たして何を示しているのかを考えてもらいました。地震で倒壊した建物や福島の原子力発電所、「立ち入り禁止」と書かれた看板、亡くなった人に膝をついて祈りを捧げるレスキュー隊。それらの写真を見て、学生さんたちは日本で起こったこの悲しい大災害に対して思いを馳せてくれました。ある日突然、たくさんの人が死んでいく状況を目の当たりにした人、生まれ育った故郷を離れなくてはならなくなった人、大事にしていたペットを置いてきぼりにせざるをえなかった人、共に生活してきた家畜を自らの手で殺さなくてはならなくなった人…このような場面を想像してみてください、と言うと、学生さんたちはみなSad…と嘆きました。

私がベナンの学生さんたちに最も伝えたかったのは、この大惨事そのものではなく、日本に原発があることでもなく、人々が打ちひしがれていく中、Mさんや地域の方々や研究者の方々が、連携と努力によって、福島の食の安全を取り戻すために奮闘してきたことです。

そして、Mさんの思い、

ー福島の農業は農民と研究者の協同によって、土の力で再生して行ったことが証明された。福島の農産物は安全であることは証明されたが、決して世界各地に原発があることは安全ではないということ。福島の農業は土の力、人の力による結果であったということ。ー

これを伝えたかったのです。ベナンから何万キロと離れている遠い異国の地で、Mさんがまさに農業においてのリーダーシップを担ったこと、果たして私の授業力でどこまで伝わったかは分かりませんが、少しでも伝わっているといいなと思います。

Monseigneur Bresillac school (小学校)での見学

大学での授業のみならず、ベナンの小学校を訪問することもできました!!すでに冬休みに入っていたのですが、私のために現地スタッフの方々のご協力の下、先生方が子どもたちを集めてくれたのです。

この日は、挨拶の仕方について学びました。“Good morning.”“How are you?”といった会話を先生のあとに続いて読み、そのあと2人が前に出てその会話を発表しました。途中、私も手を挙げてみたところ、当ててもらえたのでベナンの小学生とはじめて英語で会話をしました!!子どもたちが日本人の私と喜んでペアになってくれたのが嬉しかったです!!

ここでも見学のつもりでしたが、先生方のお気遣いで後半に少しだけ教壇に立たせていただきました!!日本がどこにあるのか、黒板に地図を示したところ、日本という国がどこにあるのかは知っていたようですが、英語でJapanと言うことは知らなかったようです。小さなことかもしれませんが、この子どもたちが、はじめて「地図のあそこに位置する国はJapanって言うんだ」と知るきっかけになったのが嬉しかったです。そのあと、runやwalk、swim、jumpといった英語を用いてゲームをしたのですが、これも盛り上がってくれました!!私自身緊張も少しありましたが、子どもたちの笑顔に本当に救われました。

私が教壇に立ったのはほんの少しの間ですが、思ったことは「日本の小学生と同じように英語を楽しんでくれている」ということです。きっとベナンの小学生も、今まさに英語学習への入り口に立ったばかりだと思います。初めて学ぶ外国語にワクワクし、好奇心を抱き、思いっきり期待をこめた眼差しで先生を見つめてきます。どんな子どもたちも根本的には学ぶことが好きなはずです。この子どもたちの期待を裏切ることなく、彼らの目をまっすぐに見つめ返すことができる先生になりたいと改めて思いました。

まとめ〜私にとっての「異文化理解」とは〜

 がんばって3つに絞りましたが、まだまだ書きたいことがあるくらい本当に有意義に過ごすことができました。一週間という短い滞在の中で、私にとっての「異文化理解」が定義できたような気がします。

「異文化理解」と言うととても良い響きを感じますが、観念的な理解に重きが置かれているだけのような気がしてなりませんでした。しかし、「異文化理解」とは、「異文化を理解すること」ではなく、むしろ「異文化の中に共通点を見出すこと」なのではないでしょうか。

水が大切であること、子どもたちの笑顔がキラキラしていること、日本の原発問題に心を痛めてくれること、これらは人種が何であろうが同じことです。日本人とベナン人、一見全く異なるように見えて、同じ人間です。人種も宗教も言語も違えど、互いに共感し合えることこそ、異文化理解の醍醐味ではないでしょうか。

このように深い学びができたのも、もちろん内藤さんはじめ、現地スタッフの方々のご協力があったからです。はじめて内藤さんに会ったときは、まさか本当に自分が行くことになるとは思いませんでした。「いつかのために」と思って話を聞きに行ったつもりなのに、気づいたらここまで来ていました(笑)内藤さんが背中を押してくださらなかったら、私は今でも自分の人生に違和感を抱いたままだったと思います。

私事ではありますが、幼少期からとにかく負けず嫌いでした、特に異性に。駆けっこもうで相撲も何でも男の子にも勝ちたくて、大人になってからは口と頭で勝つことを考えていました(笑)私にとって男性とは「負かす相手」だったのです。

しかし、そんな私でも、内藤さんのことは素直に尊敬しています。行きたいけど迷っているという方、内藤さんを信じてチャレンジしてみてはいかがでしょうか。彼は、動いてみないと見えないものがあるということを教えてくれました!!

最後になりますが、内藤さん、ずっと同行してくれたスタッフの皆様、ホストファミリーの皆様、学校関係の皆様、Mさん、そして私の旅を見守って下さった全ての皆様に心からお礼申し上げます。

どうか、これからアフリカに向かう全ての皆様の旅が有意義なものとなりますように!!

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