AYINAメンバー ルワンダ 内藤獅友

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代⑦

副代表内藤です。

僕の初のアフリカ、ルワンダ青年海外協力隊時代の2年間を

ダイジェスト版でお届けする

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代

前回は、名刺大作戦をするも、厳しい結果に見舞われたお話をしました。

今回は、名刺大作戦のおかげで、ルワンダ隊員史上最高の出会いがあったお話です。

 

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代①

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代②

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代③

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代④

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代⑤

アフリカ人と笑い、怒り、泣いた青年海外協力隊時代⑥

 

鳴り響くイタズラ電話の毎日・・・

今日もMTNの聞き慣れた着信が鳴りまくる。

自分で名刺を配り、それによるイタズラ電話の処理をして、イライラして、

僕は一体何をやっているのだろうか・・・

と途方に暮れていたところにかかってきた電話。

「日本人と仕事をしたい。僕のお店に来て欲しい。」

そう言われ、半信半疑だった僕は、

彼のお店と言われる場所に行ってみた。

彼に直接名刺を渡した記憶はなかったので、おそらく従業員が彼に渡したみたいだった。

右に写っているのが、このお土産屋を営むコーペラティブ長のフランスコワくん。

当初は、現地語も英語も殆ど出来ない僕のために、

今なら10分くらいで伝わりそうな内容を、

2時間くらいかけて説明してくれた。

 

他のお店と同じことをやりたくないんだ

6割くらいしか理解は出来てなかったけど、

わかったことは、

 

・ルワンダの首都キガリには観光客は増えている

・でもお店のことを知らないで帰ってしまう

・同じようなお店ばかりが存在する

 

ということだった。

ルワンダ人の傾向として、基本的には新しいことには挑戦しないそうだ。

彼自身もそうだったが、

NGOで働いた経験があり、その際に外国人と仲良くなり、

ルワンダ人には無い発想や経験話を聞き、

 

いつか外国人と一緒に仕事がまたしたい。

他の店と同じことをしていてはダメだ!

 

と思っていたそうだ。

そんな時にこんな語学力も、経験もない日本人が現れてしまったという訳。

僕じゃなかったらもっといい成果を出せたのに・・・

と思うことはこれから何度もあるのだが、

彼とはここから最後までずっと一緒に活動をするパートナーになるのです。

 

 

観光客が増えているは本当だった!!

とはいえ、実際にルワンダの観光産業には未来があるのかを調べてみた。

すると、

「2004年に2万7000人だった観光客は2012年には108万人増加」

という資料が出てきた。

1994年に起きたルワンダ大虐殺が大きく要因となり、

それから観光客が足を踏み入れなかったが、

すでに僕がきた2013年にはアフリカで一番安全な国とも言われるほど、

治安が保たれた国となっていた。

 

そして観光客がルワンダに来る目的は、

マウンテンゴリラと虐殺記念館

を目的とすることもわかった。

野生のマウンテンゴリラは、アフリカでも3箇所しか見れないと言われており、

その中でもルワンダのマウンテンゴリラツアーはトップと言われていた。

そして大虐殺を忘れないように、

各地に作られた虐殺記念館への訪問もセットにしたツアーがヨーロッパ人に特に人気だった。

 

ルワンダ人を好きになってもらうきっかけの観光産業に

マウンテンゴリラと虐殺記念館。

確かに独特な観光資源であるけど、

僕が思ったのは、

リピーターは来ないだろう。

ということ。

リピーターがまた来たいと思える要因としては、

過ごしやすい環境だったり、現地の人の温かさだったりする。

マウンテンゴリラと虐殺記念館のパッケージツアーで帰っていくだけでは、

現地の人と触れ合う機会がないだろうと思った僕は、

フランスコワ君とお土産屋から、ルワンダを好きになるきっかけのお店を作りたい。

と思った。

そして幸い、前職が観光業に関わっていたこともあったので、

未熟な自分も力になれると思った。

こうして僕は彼と一緒にお店を改革していく事に決まった。

ここに至るまでに3ヶ月弱かかった。

大変だったけど、諦めずに名刺大作戦をした結果だと思います!

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